生徒活動報告、生徒会役員任命式・2学期終業式

令和2年12月21日(月)生徒活動報告、生徒会役員任命式ならびに2学期終業式が執り行われました。今回もコロナウィルス感染症予防対策のために各教室で放送を聞く形式となりました。詳細は、以下のとおりです。

① 生徒活動報告(新人戦の成績)

② 生徒会役員任命式

新生徒会長 2年D組須藤哲平さん 

 所信表明

 この度、生徒会長になりました2年D組の須藤哲平です。今年は百周年記念式典などが延期となり、様々な行事が中止という形で終わってしまいました。私たち生徒会役員は、全校生徒の代表であるという責任感をもち、生徒のみなさんの意見を反映させながら、より良い学校を創りあげていくよう、頑張っていきたいと思います。一年間よろしくお願いします。

③ 2学期終業式

校長先生から次のようなお言葉をいただきました。

おはようございます。

新型コロナウィルスの影響で、4月6日の1学期始業式等で2,3年生と4月8日の入学式で1年生と目を合わせたきり、今回も放送で全校生徒の姿形を見ることなく、一方通行の話になることが残念です。

さて、12月8日から朝の全校放送で秋商の校歌1番~5番まで流れていることに気づいていますか。皆さんはビックリするかもしれませんが、秋商が甲子園などで勝利して、校歌が流れると、秋商を知らない方々はこの校歌をあまり高く評価していません。

理由は、流れるのは校歌1番のみで、その歌詞は、秋商を取り巻く雄大で美しい自然、はるか南にそびえる秀麗の山鳥海、満々たる水をたたえながら流れる雄物川、そして戊辰戦争で官軍に属していた清らかな矢留城が歌われ、秋商を取り巻く自然の美しさのみを歌って、学校の理念や使命を歌っていないからです。

今日は、創立100周年記念の年に、記念式典も開催できなかったので、秋商の校歌のつくり、校訓それに常に私が皆さんに話している内容を結びつけながらお話しします。

話や言葉が難しかったりした場合は、担任の先生が説明してくれますので、よく聞いて秋商生であることの誇りを一段高い位置で持ってください。

まず、校歌です。

秋商の校歌は「起承転結」で構成されています。

「起句」である1番は、先ほどお話ししたように、学校を取り巻く大自然を歌い上げ、「承句」である2番、3番は、「起句」を受け、矢留城址である千秋公園と、いつも眺められる太平山と、1番に続いて自然を歌っています。

2番の歌詞、「巷の塵を低く見て」とは、「些細な事を気にせず、人間成長をめざす」という意味で、「図南の翼養える」とは、大きな事を成し遂げる、人間としての大いなる成長をしようとする「志」、「使命」という意味です。

3番の歌詞、「啓示(さとし)」とは、人間自身の力では認識できないこと、神から与えられた力のことで、続く「自彊息ざる」とは、自分からすすんで務め励んで怠らないの意味で、「啓示」と「自彊息ざる」を合わせると、謙虚に努力を続ける人間には、人知が及ばない大きな力が天から与えられ、どのような逆境にあってもユーモアと謙虚さを併せ持って、今を生き切る腹が据わった人間になるように努力しなさいという教えになっています。

そして、「転句」である4番は、一転して「健児500の渾身に愛校の血ぞ波打てる」と、生徒の強い愛校心を歌っています。歌詞の「旗幟」とは、相手が誰であれ、深く熟慮し、根拠を持った自分の考えや立場をはっきり言うことの潔さを表しています。

さらに「旗幟鮮けし」に続く「自治正義」は、儒学が唱える「徳治主義」「修己治人」を表しています。「徳治主義」とは、法律や決まり事で導き、刑罰で人を縛るだけであれば、人は犯罪から免れることしか考えず、犯罪が「恥ずかしいこと」と思わなくなってしまいます。

しかし、道徳で教導するなら、人は悪いことをすれば「恥ずかしい」と分かり、言葉や行いがすべて正道にもどるという意味で、「決まり事」で生徒の行動を抑止するのではなく、生徒自身がその行動が正しいかどうか、人として恥ずかしくないかという自己規範によって正義を守るという意味です。

また、その根底には、修己治人すなわち、自身の知識を高めて、精神を磨き、徳を積んではじめて、世の中を正しく治めることができるという意味があります。自身の修養に励み、高く積んだ徳で人々を感化して、世の中を平和に正しく治めるという、「己を修めて人を治む」という精神があるのです。

そして、「結句」の5番で、朝夕仰ぐ学び舎の心の故郷「秋商」に今説明した言葉の精神を込めて、「秋商」をこよなく褒め称えている構成になっております。繰り返せば、皆さんは普段は「起句」の1番、そして「結句」の5番を歌うことによって、大自然の中に精神的にそびえ立つ心の故郷「秋商」を威風堂々と褒め称えつつ、歌わなかった「巷の塵を低く見て」「図南の翼養える」「高き啓示」「自彊息まざる」「旗幟」「自治正義」に込められた、「謙虚に」「正直に大いなる人間的成長をする」「他人をとやかく言う前に、己を修める」苦難に遭っては天の教えが聞こえてくるまで「努力を続け」ていこうという秋商本来の精神、すなわち、「香りある人生」を送るための心の有り様を、5番の心の故郷「秋商」に集約されている深い意味を理解できなければ、秋田商業の教育は、正しい判断ができ、理解力が高く、共同体の中で、人々とよく分かち合う事ができるという、「社会性の知能指数」の高い人材を育成する教育であることを理解できません。

そしてこの精神を次の100年に伝えてください。

このような意味で、秋商OBはこのフレーズに我が身を、我が行いを振り返り、時に、我が道に過ちはないかと内省し、自己規律として心の故郷秋商を歌っているのです。

この精神は、歴代の校長先生の言葉からも伺えます。

初代校長黒沼義介先生が生徒に揮毫した言葉「従容就義難」です。

意味は、人は感情が高ぶると何をしでかすかわからない。残念ながら「自制心を失う」「正気を失い」、果ては、問題のすべてを他人や環境のせいにする。その結果、周りの人たちの心が自分から離れ、孤独となり、自身が持っている最高の価値である、魅力や信用を失うことになります。

感情が高ぶったときにこそ、ゆったりと構えて、まずはなすべき事を確実に、誠実に行えという意味です。この「従容就義難」が現在の校訓「感謝勤勉鍛錬」の原型になっています。

私はいつも皆さんに、「香りある人生を歩んで欲しい」と訴えています。この「香りある」とは、「目に見えない人間の感情が見えるよう」になること、自分自身の内側に抱いている、「エゴや虚栄心、放漫心」を抑える事ができることを示しています。

その意味で、私の「香りある人生」という言葉も、秋商100年の絆で守り築かれてきた、初代校長黒沼義介先生の「従容就義難」の精神を受け継いできたものと私自身理解しています。

さらに、第19代進藤隆校長先生が、皆さんがいつも使っている資料「秋商キャリア教育」のなかに込める精神的な言葉はないかと私に尋ねられたときに、即答したのが「凡事徹底」です。当たり前のことを当たり前にやるのではなく、自分のやるべき当たり前のことを、自分の精神を集中させ徹底的にやり抜くという意味です。

そして、健全な秋商生は「秋商スタンダード」であること。「秋商スタンダード」とは、言葉を換えるならば「秋商1・2・3」

であり、1人の生徒が学習と部活動の2つのことを、3年間心を込めてやり切ることです。

今日は校歌の深い意味と「従容就義難」と現在の校訓「感謝勤勉鍛錬」とのつながり、「凡事徹底」「秋商スタンダード」それに、いつもの言葉ですが、「香りある人生を送るために、この100年の伝統ある秋商で、目に見えない人間の感情を見えるように努力を謙虚に続けてください」という話をしました。

新型コロナウィルスに罹患せず、何事にも油断せず、この冬に精神と体、頭脳を鍛えて、元気に新年を迎え、1月14日に再会しましょう。

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